
短歌〜初心者の詠む歌と講評
歌を詠む気持ち
久しぶりに短歌の話をします。
短歌の先生である利用者さんが入院されていて、最近は短歌から離れていました。
物を見る目が浅く、心も鈍感になっていて、
想いを言葉に凝縮することが出来ません。
毎日毎日が鈍感にあっさりと過ぎて行ってしまう
考える事や感じる事が億劫になってしまう
そんな自分がいます。
短歌への新鮮な興味と感動を思い出すため、
以前作った短歌と、短歌の先生からいただいた講評を読みます。
誉められた歌
まず一番初めは、先生がとても誉めてくださった歌
ピロピロロ LINE開けば孫の顔 繫がる300km 眼で抱きしめる
遠い関西に居る娘家族。
出産から1年間は我が家で過ごし、その後関西に移り住みました。
生まれた時から1年間すぐそばに居た孫に、今は簡単に会う事は出来ません。
それでも、たまに娘からかけてくれるLINEのビデオ通話で
腕に抱き締める事は出来ないけれど、大きくなったなぁとその重さを眼で感じながら孫と話しが出来る事は本当に幸せです。
この歌への先生の講評です。
*文句なしに良い歌である。初句のオノマトペ、第四句の「繫がる 300km」は適切な表記であり、結句「眼で抱きしめる」は万人が納得するであろう。この表記によって作者のお孫さんに対する愛情も十分に汲み取ることが出来る。
すごく褒められてとっても嬉しかった!
只事歌
褒められた歌は殆ど無いので、次からは拙い歌と先生の手直しや講評です。
ふんわりとお湯に浸かって漂えば 縺れた糸が解されてゆく
なんだか色んな事があって、考える事に疲れて、
1日を終えた最後に温かいお風呂に浸かった時にホッとする
そんな感覚を詠みました。
この歌への講評は
*作者の気持ちは誰もが理解できるが、インパクトがない。歌が逐語的に構成され「こうしたからこうなった」という風に結論が読めてしまうと人は感動しないのだ。こう言う歌は「只事歌」と言われる。
本当、先生の言われる言葉に納得です。
ただ気持ちを表せばいいだけではなく、その気持ちを伝えるための「感動」「インパクト」が必要なんだ
感動やインパクト、驚きなど胸を打つ思いが表現できないと短歌にはならない。
もう一つこれも同じような感じの歌
木枯らし荒れる大晦日 あったかい湯気とお蕎麦と家族の笑顔
外では強い風が吹いていて大荒れの天気の大晦日だけれど、
暖かい家の中で、家族がみんな居て、あったかいお蕎麦を食べられる。
来年は、この先は、どうなっていくのかは誰にも分からないけど
このひと時だけは何の心配も感じられないそんな幸せ。
これも「只事歌」の見本の様な歌です。
先生の講評は
*木枯らし、大晦日、湯気、お蕎麦、家族の笑顔、これらが対等に扱われているために主題が定まらない歌になっている。初句「木枯らし」の4音の字足らず、二句「荒れる大晦日」の8音の字余り、が歌を駄目にしている。大晦日に代わる大晦日と同じ意味の言葉の選択と接続助詞の使い方で歌は生きてくると思う。そこで一例であるが次のように直してみた。
*木枯らしの荒れる歳晩あったかい湯気とお蕎麦に家族の笑顔
実は先生は東大の卒業生です。
先生の使われる言葉には難しいものが沢山あって、この「歳晩」という言葉は今まで知りませんでした。
ネットで調べたら
「歳晩」 (さいばん) 年の暮れ。年末。
と書かれていました。
先生、言葉の使い方、私には難しすぎます…
でも短歌をやるからには、そんな新しい言葉の知識も必要ですね。
頑張ります!
そしてこの先生の歌
「お蕎麦に」を「お側に」とかけてる事に気が付きました。
本当に言葉の使い方、一文字の助詞の使い方だけで
歌の雰囲気も価値も変わるんですね。
お台場のガンダム
では今日の最後
ライト浴び正義の戦士聳え立つ 足元の諍い我関せずと
お台場にレインボーブリッジの夜景を見に行った時、ライトを浴びたガンダムが大きく聳え立っていましたが
ハリボテの彼は正義も何も関係ない。
ただ自分の姿を格好良く人々に見せるためだけに光を浴びています。
そんな無表情の彼の足元では
インスタ映えを狙ったポジション狙いの小さな諍いもありました。
先生の講評
*「正義」はいつも高い所にある。そして常に権力と同席している。権力者でなければ「正義」は使用出来ない。足下の有象無象の諍いなどは一切関知しないのだ。歌としてはきちんと構成されていて、正義の本質を見抜いた良い歌になっている。
さすが先生
私の意図しなかった深い読みと高い洞察力で、歌の価値を高めてくださってありがとうございます。
恥ずかしながら先生のような洞察力を持って詠んだ歌ではなかったです…
恥ずかしついでにガンダムの写真も貼っておきましょう。

短歌のカテゴリーは私の恥を晒すカテゴリーとなりそうですが
これからも精進していきたいと思います。
